『GLITCH CODE - グリッチ・コード -』第1話
- 前田 義徳
- 6月9日
- 読了時間: 3分
午前3時の男

午前3時00分。
東京、港区の再開発ビル群の隙間に、ひとつだけ取り残された古い雑居ビル。
その屋上で、ひとりの男が空を見上げていた。
黒のトレンチコート。フードの奥に見える無精髭と鋭い眼光。
彼の名はユウキ・ショウ(結城 翔)。年齢不詳。戸籍不明。行方不明者として既に死亡扱いになって久しい。
だが彼は、生きていた。
「…また、止まったな」
手首のスマートウォッチが、一瞬だけノイズを発し、3時00分のままフリーズする。
それを確認すると、翔は無言で時計を外し、屋上の端にある監視カメラの死角へと身を滑らせた。
まるで、何度も同じ夜を繰り返しているかのような動きだった。
彼の耳には、誰にも聞こえない「音」が届いていた。
断続的な電子音と、重なり合う複数の“自分の声”。
「…時計の針が回るたび、俺はどこへ行く…?」
脳内で反響するその声は、確かに彼自身のものだったが、何かが違っていた。
感情の抜け落ちた、自動翻訳されたような、機械的な響き。
過去と現在が、彼の中で“分岐”していた。
翔がこの世界から消えたのは、二年前。
公安省のサイバー犯罪捜査課にいた彼は、国家機密プロジェクト“OVERFLOW”に関わっていた。
人工知能と量子コンピューティングを融合し、**「時間知覚を書き換えるAI」**の開発を試みた危険な実験。
だがある日、実験は“事故”という名の暴走を起こした。
翔は施設ごと消えた。
公式記録には「殉職」と記された。
しかし、翔は生き延びていた。
ただし、以前の彼とは何かが違っていた。
「ターゲット、屋上に確認。映像…グリッチしてる。ノイズが走ってるぞ」
通信機の声が、ビルのエレベーターホールに潜むオペレーター部隊の男たちに流れる。
彼らの任務は、“結城翔”の再捕獲。
だが、既に7回失敗していた。
理由はひとつ。
翔は“予知”していた。
未来を――断片的に、だが確実に読み取っていた。
「移動開始。殺すなよ。今回は“記憶抽出”が目的だ」
隊員たちが無言でうなずくと、サプレッサー付きのライフルを構え、屋上への階段を静かに上がっていく。
そのとき――。
「……ドアが、開かない?」
リーダーが囁いた瞬間、屋上ドアのロックが自動で解除され、何の前触れもなく“翔”がその奥から姿を現した。
「待ってたぜ」
その瞬間、世界が“反転”する。
床のパターンが歪み、重力方向が揺れ、周囲の建物の形が崩れたかと思えば、元に戻る。
まるで世界が一瞬だけバグったような映像。
そして、隊員の1人が倒れた。原因不明。呼吸はあるが、意識がない。
翔の目が光る。
「お前たちは、前回と同じ。動きも、呼吸も、台詞も、0.1秒の誤差もなく同じだ。記録されてるんだよ。全部、俺の中に。」
「…やはり“コードが走っている”状態か…」
リーダーが口走った言葉に、翔がゆっくり顔を向ける。
「そう。**俺は“生身のログファイル”だ。**お前らが何度削除しても、ログが再生成される。
でも今日は違う。…上書きしに来た。」
その言葉と同時に、翔の後方から一人の人物が現れた。
白衣に、赤いスカーフ。長い髪を束ねた女性。
「……ユウキ、そろそろ戻りなさい。コードが安定してる今しか、“更新”できない。」
翔はうなずくと、女性に向かってつぶやく。
「――ようやく“彼”に会えるんだな」
「ええ。“あなた”を創った、もうひとりのあなたに。」
翔と女は屋上から飛び降りた。
だが落下はしなかった。
空間が折り畳まれるように、ふたりの姿は歪み、消えた。
残された部隊は呆然としたまま、動けずにいた。
リーダーが静かに通信を入れる。
「第七接触失敗。対象は…“また更新された”」
この夜。
午前3時00分。
時計の針はまた、同じ場所を指している。
しかしその“同じ”は、もう別の次元の“同じ”だった。
【つづく】
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